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ぼくの(リアル)なつやすみ 2

■2003/08/23(Sat.)■

▼郷に従えず

 昨年末にここに来た時、深夜修士論文用の勉強をしていたところ、「ここに来たからにはここの生活にあわせろ!!!!」と厳しいお怒りを頂戴したしまして、今朝もなんとしても両親祖父母の生活にあわせて朝5時には起きなければ!!と悲壮な決意をしていたのだが、そんなことはできるわけがないのだ。ようやく、朝7時起床という習慣に体が馴染んできたばかりだというのに、昨夜あれだけ深酒した体でそんな奇想天外なマネができようはずがない。

 しかしそれでも8時には起きて朝メシをおかわりしていた俺はいい方だった。視点・意識ともにハッキリしない、茫洋とした顔つきのアッチは、茶碗に軽く一杯のゴハンと味噌汁を前に微動だにしないこと約1時間。今日は2人で鳥取県との県境近くにある「湯原温泉」に行くというのにこんなことで大丈夫なのだろうか?

▼第一次直下型決戦

 そうこうしているうちに、待ちきれなくなったのだろうか、親父が釣竿を引っさげて出かけていった。家の前を走る県道をはさんですぐ前が川なのだ。俺がガキの時分は、毎日のようにここで親父と釣り勝負に明け暮れたものだった。そいつを再現しようというのか。

 しかしここで思った。やはり今回の「なつやすみ」、一番楽しみにしていたのは親父だったのだと。何せ親父のパソコンの前には、昨日の俺たちの予想進路状況が時間順に書き出してあったのだから。9:00に竹田駅集合、というのは伝えてあったのだけど、名神高速京都南ICに乗るのが、09:40という予想。「そんなに遠くないぞ」とツッコんだところ「おまえらのことやから、どうせ高速に乗る前にコンビニとかでウダウダ過ごすやろうと思って」……って!!!悔しいまでに見事な読み。つーか当たってるし。

030823_1.jpg さて、アッチが心配でしばらく話し相手になっていたのだけど、フラッと川に出てみると、早くも数匹あがっている。むむむ。腕衰えたりと言えどもこの楽人、ご老体にひけをとるわけにはいき申さぬ、ということで俺も竿とシカケを奪取して勝負に入る。驚いたことに、狙ったポイントにエサを落とす竿さばきは、15年ほど前からまったく衰えていなかった。身体が持つ記憶力というものに改めて脱帽。一匹も釣れなかったんですけどね!意味ない。

つりびと そうこうしているとアッチもノソノソ起きだしてきて竿を振りはじめた。彼の経験値はいかほどのものかは知らないのだけど、なかなかどうして、うまいもんなのだ。たちまちのうちに数匹を釣り上げる。くそ。

 結局おれは一匹も釣り上げないままに、すでに戦線を離脱していた親父から「スイカ切るでぇ」の声で一時停戦となってしまった。この雪辱は必ずや晴らす!!

▼正しい夏休み

030823_3.jpg 家に戻ると、オカンがスイカを切っている最中だった。しかしコレどうなんよ。この巨大スイカ。生まれてこのかた見たこたァねぇ。もう笑うしかないってばよ。みやげもん巨大ポッキーも、業務用バーモントカレーもかないません。俺とアッチとついでに親父とでウハウハ言ってると、おかんいわく「テラス行って食おう」とのこと。

 裏手に回ると、縁側……ではないのだけど、3畳分ぐらいのタイル敷きのエリアがあり、まぁベランダが1階にあるような感覚だと思ってください。そこに常設のテーブルと椅子でスイカにしゃぶりつく。種は……??その辺にプププッと吐き出しておけばいいそうです。

 みなさん聞きましたか!!これぞ夏休みです!!ここでフト俺の頭にうかんだのが、このシリーズのタイトルとして拝借しているプレステのゲーム『ぼくのなつやすみ』だ。俺はプレイしたことはないのだけど、昆虫採集、川遊び、ラジオ体操、そして縁側でスイカの種噴きながらモシャモシャなどなど、今は懐かしき古き良き時代の「なつやすみ」を体験できるという勝負なし攻略なしクリアなしの体験シュミレーションゲームらしい。俺もたしかに気になっていて、一度やってみたいとは思っていたのだけど、いざ実際に体験してみると、こういうものがゲームとして一定の需要を確保しているというのは、どうにもこの国の夏というのはあまり健全な方向には向かっていないんだなぁというような気になってくる。こういうことをモニタの中でしか体験できない子どもたちが万単位でいるというのはなんともせつない話なのだ。

▼わしのなつやすみじゃ

 釣りとスイカですっかり元気を取り戻したアッチの運転で、一路「湯原温泉」を目指す。ちなみにゲーム版「ぼくのなつやすみ」には、温泉に行く、というようなイベントは多分ないと思う。ここだけはわしら仕様なのだ。オッサンにリーチのかかった我々としては、酒と温泉もハズせないのじゃ。

 事前に調べたところによると、この湯原温泉には「川湯」というものがあり、それは読んで字のごとく流れる川のすぐ脇に湯が湧き出ており、当然ながらこれは露天風呂なわけです。しかも無料だというのです。おまけに混浴だそうです。ちょっと疑り深くなってしまうほどのオイシイ話なのではあるまいか。運転も昨日に負けず劣らず快調なのだ。でも、160km/hは出しすぎだと思う。

 到着した湯原温泉郷は、なんとなくひなびた感じが風情を醸し出している。全国的にはまだ有名どころではないのだろうか。アホな観光客に荒らされることなく細々とやってきましてんわてら、というような雰囲気が実によろしい。シャレたレストランなんぞも見当たらず、宿泊客ではない我々のような人間は、ジモティズムバリバリの大衆食堂に入るしか、腹を満たす手段はないのであった。

 のれんをくぐった鉄板焼き屋もまさにそうで、馴染みと化したバスガイド(きっと地元のバス会社だろう)と、近所のオバちゃんとおぼしき2人組がカウンターで早くもビールを飲んでいた。そして彼女らの前に続々と並べられる「裏」メニュー。あまりにあからさまでちょっと笑うしかなかったんですが、それを横目に我々は冷やしうどんをズルズルとすすったのでした。

ぶにゃにゃー 鉄板焼き屋から出たところに、ノラなのか棲みついているのか、ネコが。石を枕にきもちよさそーじゃねーか。邪魔してやるぜウリウリ。我々も負けじとイーキモチになるべく、一路「川湯」に向かうのだ。

 たどりついた川湯は、なるほど露天で無料で混浴であった。ツッコミどころがないのが悔しいぐらいにパーペキである。簡易脱衣場で早速フルチンになってワイワイと突撃をかける……が、熱い!!!湯もさることながら、本日は温泉にはおおよそ不似合いな真夏日。快晴ギラギラ太陽照らされたいよな天候で、湯にたどり着く以前に、石畳が熱い熱い。というわけで、すぐそばの川で足を冷やしつつ、つま先移動。いやしかし、色んなお客さんがいて見ていて楽しかったです。明らかに近隣の人と思われる「勝手知ったる」常連客や、西川のりおのような過剰にド派手な関西弁をまくしたてる家族連れとか、お前のチチなんざ別に見たかぁねぇでもちょっとぐらい……な、タオルぐるぐるまき女となぜか湯船にもデジカメ持参男のカップルとか。

 1時間ほど堪能し、退散。

▼ドライブ事情

 帰路につく我々。言ってなかったけど、アッチのクルマはMR-Sとかいうスポーツカーで、いわゆるオープンカーなのだ。ところがこいつ、ノーマル状態(閉めた状態)だと車内は狭いし視界は悪いしで、京都から基本的にオープンで走らせてきた。でまぁ、バカ話をしたり、音楽をかけたりして走っていたのだけど、あいにく俺とアッチで、今回のBGMセレクトは見事にズレており、2人一緒に楽しめるのは唯一aikoのアルバム「夏服」だけだった。というわけで、2人して「ボーイフレンド」を熱唱しながら山道をひた走る。山道だからこそできた芸当である。都会では絶対できない。だって想像してみてください。四条河原町の交差点。隣にブルンととまったオープンカーからは「ボーイフレンド」。そして熱唱する男2人組。あぁぁーてとらぽっどのぼぉーってぇー♪

ひー しばらく走ると、こんなつり橋があった。地元の人が使っているんだろうか。一応コンクリートの橋げたなんだけど、行ってみるとコレ、かなり怖かったです。俺はとうとう向こう岸まで行けませんでした。だって、橋の床板(?)くさってる所とかあったし。穴あいてたり。アッチいわく「チンチンこそばい」んだそうで。そうなのです。こういう高い所とか、急な坂道とかで恐怖をおぼえると、男はチンチンこそばくなるんです。女性はどうなんだろう。

▼第2次直下型決戦〜そして夜

 帰宅するとすぐさま午前の雪辱をはらすべく釣り勝負を開始した。結果から言うと、経験者の面目躍如ということで、俺が5匹、アッチは運転の疲れが出たのか、ゼロ。俺がガキの頃はウデに関係なく短時間でもっともっと釣れたもんなんだけどな。そしてそれをオカンがカラアゲにしてくれたりした。今日は全部あわせても大した釣果ではなかったので、全部逃がしてやることにした。こいつらに元気なタマゴを産んでもらわねば、来年の夏の勝負ができないではないか。

 家に戻ると、ウタゲ第2夜の準備が整いつつあった。さすがに俺も少々手伝いをする。祖父母は、なんと俺たちと入れ違いに所用で京都に行ってしまい、今夜は両親と俺たちの4人。いろんな話に花が咲きました。具体的な話題はもうほとんど覚えていないのだけど、ウチのオヤジオカンはすごいなぁ、と漠然と恐れ入ったのはよく記憶している。経験、価値観およびその表現力において、俺はこの人たちを上回れるんだろうかと正直ビビった。

 何年か前に、保守派権威主義バリバリの人に薦められて、岩波新書「父性の復権」を読んだことがあるのだけど、おおまかな論旨としては昨今の「トモダチ父親」の跋扈を嘆き、強く正しい威厳ある「父」像を打ちたてている。これがないと社会がアブナイ、というような内容だった。でも、息子とそのトモダチの予想進路状況をわざわざ紙に書き出し、釣り道具を人数分揃えて、スイカにしゃぶりついてニカニカ笑っている、これはもうまさに「トモダチ父親」の見本みたいなウチの親父なんだけど、やはりとても今の俺じゃかなわない「何か」を持っていると思うし、この先「かなう」見通しもてんで立たない、おそるべき存在としてそこにいる。これはもう『父性の復権』の説得力のなさを身をもって体験しているということであり、「トモダチ父親」などという造語が何の根拠もない、茫漠とした著者の独断と偏見に満ち満ちたものであることをまざまざと俺にみせつけてくれるのであった。

 さて、その「トモダチ父親」であるが、午前のつり勝負を終えたあと、所用があって街まで出ていたらしい。その帰りに花火を買ってきたというのだから、もう笑うしかないのである。この親父は、絶対小学生時代に「明日の遠足が楽しみで眠れなかった」タイプだと思う。なんだか夏休み日記からオヤジ評論と化してきているがあまり気にしないでいただきたい。

 4人で花火をして過ごす。普段冷静沈着理論攻めオラオラ参ったかそんなん苦労のうちに入らへんおまえ将来どうすんのメシ食ってるかそんなんあかんわガミガミガミ、なオカンも無邪気そのものに花火を楽しんでおり、あんなオカンを見たのはもしかしたら生まれて始めてかもしれない。田舎暮らしを始めて1年ちょっと。どうやら俺の知らない「彼ら」がはじまりつつあるようだった。

 花火を終えて、また酔い覚ましの散歩に出る。近所の神社の石段に座り、火星を見た。「こんなんが、まだ明日もあるねんで!」と、昨夜と同じことをアッチはニカニカ顔で言った。



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