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■2004/05/31(Mon.)■

 ちょっと前に何かで読んだのだけど、会社の会議のグチ話だったように記憶している。曰く、「裏付けとか、根拠とか、男って、バカじゃないの?そんなの直感でだれだってわかるじゃん!!」

 ……えーと、あの、クライアントや消費者は、直感が働かない「素人さん」だから、裏付けや根拠を提示しなければいけないと思うんですが。

 自分が分かればみんな分かると思ってる、女って、バ(ry

 ……↑の文章を抹消するかどうか、かれこれ30分ぐらいモニタの前でうなっておりましたが、もうどうだっていいのだ。

 「ジャン」で思い出したのだけど、僕と相方様との会話が最近なんだかおかしなことになってきている。お互いがお互い方言の影響を受けて、ありえない会話が飛び交っている。

相方「ばんごはん、どうしよう?」(発音明らかにヘン)
ぼく「んー、でもおれ、そんなにハラ減っとらないからなぁ…」
相方「ウチ、久しぶりにマック食べたいんやんだけど
ぼく「ほうかぁ、ほなマクドでエエんじゃん?

 どうしたらいいのだ。


■2004/05/30(Sun.)■

 昨日2人して大阪から帰ったら、kousuke君から呑みの誘いがあり、『き』のオムラさんも交えて急遽宴会ということになった。なかなか4人共通の話題というものがなくて、アニメの話になればkousuke君がハズれ、音楽の話になると僕がハズれ、大学のハナシになると相方様がハズれ。

 会話のコーディネートは 下手なわたしだけれど〜♪

 たちまちのうちにカンビールが空き、日本酒が空き、暴君ハバネロが空いて、もうどうしようもないアルコール漬け約4名のできあがりであったが、もう終盤のことは僕はほとんど覚えていないのでした。

 暴君ハバネロは、言うほど辛くなかったです。僕だけなのかどうか分からないけど、ある一定の辛さ以上になると、どれも同じようにしか感じない。

 そんなこんなで朝の4時まで宴は続き、昼頃に起きてもまだ体全体がグッタリとしていて何をやるにもおぼつかない。渾身の力をふりしぼってフラフラと散歩に出るのが関の山といったところだった。昨夜は、20代前半の若人相手に、オジさんはつい年甲斐もなくハリきってしまったようだ。むにゅ。


■2004/05/29(Sat.)■

 先週、バス乗りのためになんばへ来た時に、なんばCITYでTシャツ関連のイベントをやっているという情報を得て、相方様も誘って今週も行ってきた。2連チャンで大阪というのは滅多にないことで、なんだか少しフシギな気分。

 さて、Tシャツのイベントは通路の一角にチョロッと展示がしてあって、傍らに投票用紙の様なものが置いてある。それだけ。「そりゃねぇだろ!」的ショボさだった。我々、5分もその場にいませんでしたヨまったく!!

 代わりになんばCITYでフィギュアショップを見る。ドラゴンボールがやたらとあってウハウハだったのでした。

 日本橋〜新世界へ歩き、串カツで昼間からビール。僕らが入った店には、「生中2杯で生小1本無料サービス!!」と大書してあった。2杯目確実に行くだろうな、でもオマケまで呑めるかな……、まぁいいや、2杯飲んだ時点でオマケを頼むかどうか考えよう、と思っていた俺。しかし、注文した2杯目は、小ジョッキという子分をひきつれて僕の目の前に「ドドドン!!」と置かれたのであった。なんだよコレ!!オマケってオートなのか!!太っ腹なのはうれしいが、僕はもうオナカパンパンになって再び日本橋へ繰り出した。

 特に何かを買うつもりで来ていたわけじゃないんだけど、DVD−Rとビデオキャプチャカードがエライ安かったので、思わず買う。「3000以上の買い物は、3〜4回通って、思う存分迷ってから決める」という主義の僕にしてはえらいはっちゃけ具合なのだ。我ながらオドロキである。

 ともあれ、これで溜まりに溜まったVHSをDVDにすることができる。部屋も少しは広くなるんではなかろうか。


■2004/05/28(Fri.)■

 大宮鞍馬口の北東角にある呑み屋「上海航路」がとても気になる。なんせブリキの看板だからな。

 それはいいとして、朝起きて熱を計ったらら37.9度。またしても昨夜の回復がウソのように振り出しに戻っているではないか!!……と思ったが、他の症状(ダルイとかセキとか)がどこかに消え失せていたので、なんとか出社。

 昼過ぎには熱も下がった。それはよしとしたいんだけど、なんとなくこう「治った!」感がなく不満でもある。「闘病ン日、ついに病に打ち勝つ!!」といったような気合いのみなぎる午後スタートではなく、なんとなく動けるから出社したらいつの間にか治っていた、なんてぇシマリのないエンディングだったのだろう。

 来週は朝礼で僕が話す番だけど、テーマは健康管理でキマリだな。回を重ねるごとに、どんどんぞんざいになっていく朝礼スピーチ。いいのだ、朝礼なんて短いに越したことはない。みんな仕事あるんだから。


■2004/05/27(Thu.)■

 相変わらず高熱が続き、意識はハッキリしているのにどうあがいても体を起こすことが出来ない。仕方なく午前休み。くそ、くやしいぞ。

 起きたら高熱で、夜は元気全開という日々がもう一昨日くらいから続いている。なんなんや一体。会社では「肺炎がはやってる」とか、コワイ噂が流れてるし!あーもう。


■2004/05/26(Wed.)■

 昨日からなんだか体が重く、アタマもまったく回らない。とにかく頭の先から足の先まで徹底的にグッタリしており、意識も朦朧としてきた。まるで仕事にならないので、今日はなんと早退してしまった。

 夜になると熱が38度を突破。どうしたことじゃコレは。

× × ×

 どうでもいいけど、1ヶ月以上経ってからこういう文章を書いてもまるで緊張感がなくてホゲホゲですな、まったく。


■2004/05/25(Tue.)■

 相方様の新居は、京都の中心部よりやや北寄りにあたり、ある伝統産業の地場でもあり、昔ながらの家並みを保存したり、再利用したりと最近ちょっとした話題のスポットである。まぁこれだけ書いてしまえば誰でも分かってしまうと思うので書いてしまうけれども、西陣界隈であります。

 京都市内の小学校では、社会科で必ずこの西陣あたりのことを習う。古くから織物の地として知られているが、後継者不足でうんたらかんたら……とまぁそんな内容だ。しかし、「京都にあって京都にあらず」と言われる山科地区の小学生であった僕には、西陣なんて行ったことも見たこともないし、なんとなくどこか遠い世界のデキゴトのようにしか思えなかった。

 それでまぁ齢27にして始めてこのあたりをウロつくことになったわけですが、なかなかディープです西陣。何よりも「西陣京極」なる呑み屋街。昭和30年代くらいから時が止まってるんじゃないかと思うほどのすすけた雰囲気。ホモ映画館があり、夕方前にはヨッパライがフラフラして、BGMはスナックから漏れ聞こえるカラオケ。さながら京都の新世界といったおももちであります。

 大阪の新世界は、まぁちょっと有名になってしまったし、すぐそばに通天閣もあるしで観光客もけっこう多いのだけど、西陣京極はそこのところがちょっと違っていて、ジモティズムバリバリでやってきてるというのがスゴイ。今日も夕暮れ時に子どもがチョロチョロ走り回っていたのだけど、ロウ石で道にラクガキとか、ケンケンパとか、ゴム飛びとか、ベーゴマとかが妙にマッチしそうな感じでした。

 かつて日常だったものが、いったいいつ「歴史」になっていくのかなぁとフト考えた。僕らの歴史の教科書は、小中高いずれも高度経済成長で終わっていた。バブル経済や細川連立政権なんかは「現代社会」の範疇だったように記憶している。

 コンビニ・ケータイ・インターネットというようなものが、「21世紀初頭の庶民の文化」とかいう単元で、いつか歴史の教科書に載ったりする日が来るんだろうか。


■2004/05/24(Mon.)■

 相方様が引っ越してきて約半月が過ぎた。遠距離のころは、とにかく「会う」ということだけで一大イベントだったのを思い出す。旅費を工面して、宿を確保して、待ち合わせを決めて、とにかくものすごい段取り計画綿密であったのだ。時間と手間とお金をかけて、ついでにしゃら君に迷惑までかけて。

 昨年3月の日雇いat東京の10日間では、「帰りにメシでもどうよ?」という、ただそれだけのメールにいささかキンチョーしたりコーフンしたりしたものだが、いざ、夢見た「ご近所生活」を送ってみると、どんどん生っぽくなっていって、なんだかなぁという気も、しないではない。「帰りにメシでも」の現場が、王将だったり天下一品だったりするのも一因かもしれない。

 幸い相方様は「ディナーに大衆中華なんてシンジランナーイ!!どこそこホテルのナントカコースでなきゃイヤッ!!」などとは言わない人なので助かっているけども、もしかしたらがまんしてるのかなぁ。

 来客がないと、僕の部屋がいかに汚いかということが白日の下に晒されたというのも大きいだろうなぁ。「古ぼけたアパートって、なんだか居心地がいい」と言っていた相方が、ここ最近滅多にここに顔を出さなくなった。「用があんならウチに来い」だってさ……。

 また、カネを貯めてどこかのビジネスホテルを格安で調達して、地元でお総菜なんかを買いあさって、40センチ立方くらいの冷蔵庫をテーブルにしてプチパーティーなんかをやってみたいとか思うくらいなんだから、つくづく人間というのは無い物ねだりなんだなぁと思う。

 「ご近所生活」、うれしくないかといえばウソになるけれども。まだ不慣れなのかもしれないなぁ。


■2004/05/23(Sun.)■

 9時頃起床。案の定ツブれるまで呑んでいたアッチは、起きてもボンヤリしたまま微動だにしない。彼の方が何かとタフなんだと思っていたが、俺は朝メシをおかわりするというモリモリ元気っぷりで、どうなのかよくわからない。

 「歩けるようにはなった」という彼を連れて、近所に散歩に出たが、ここでもアッチは田んぼのあぜ道に座り込んで「ええなぁ……、ええなぁ……」とつぶやくばかり。どうやらすっかりこっちの田園風景に心を奪われてしまったらしい。外は快晴で、少々ノドが渇いたので何か飲もうかと思ったのだけど、最寄りの自販機までは歩いて20分ぐらいあるのだった。おそるべし田舎。

 親父が、クルマで20分くらいのところに青空市場があるということで、連れて行ってくれた。地元の畑で取れた野菜・肉・乳製品や、花まで売っている。一角には手打ちうどんやラーメンの店もあり、狭いながらもなかなかこういうのは見ているだけでも楽しいもんだ。

 一抱えもあるような巨大白菜などを見て僕はもうすっかり舞い上がってしまい、「デカー!!デカー!!」とわめいていたのだけれども、いまいちアッチのノリが悪い。一体どうしたというのだ。

 家まで戻ってきて、裏にある畑に行ってみる。あれは枝豆だ、あれはジャガイモだ、と言い合っているうちに、ますます農村に恋い焦がれるアッチなのであった。

 帰りのバスがあるので、新倉敷駅までクルマで送ってもらい、とりあえず在来線に乗って岡山駅へ向かった。どこだったかの駅で見かけたのだけど、JR西日本では、現在駅弁に関するイベントをやっており、一定の種類の駅弁を食べると何やらいろいろといいものがもらえるらしい。バスに乗ってしまうと到着まで食料調達がむずかしくなりそうなので、我々も早速岡山駅で弁当を買った。

 帰りのバスでは、2人ともグッタリとしてしまい、半分以上を寝て過ごした。なんば到着間際に、「10回乗ったら1回タダ」というポイントカードをくれた。またポイントカードかよ……とも思ったのだけど、無期限だし、これはなかなかおいしいかな、と思ってもらっておいた。

 JRで帰京するというアッチと梅田で別れて、ぼくは阪急電車で帰る。1日目と2日目のテンションのギャップに翻弄されそうになった2日間でありました。


■2004/05/22(Sat.)■

 昨年の8月末より約9ヶ月ぶりにアッチと連休が重なったので、行って参りました岡山の田舎。前回は彼の運転で山陽自動車道をツッ走ったんですが、今回はバスにしてみました。まぁ、体力限界まで遊んでも寝てるだけで帰れるというのが大きい。

 しかしまぁ朝の8時半になんばを出発するバスなんてぇのを選んだので、僕は平日より3時間も早起きをして始発の地下鉄でなんばに向かったのでした。

 岡山駅に昼前に到着。そういえば岡山駅近辺なんてほとんど行ったことがないんですが、ビルの林立具合だけ見たら、京都より都会です。とりあえず地下街に行ってラーメンを食う。目指す田舎はここよりもう少し東にあたるので、JRに乗り込んで総社市、というところまで行ってみた。

 電車に乗って窓外をボンヤリ眺めていると、一駅も走らないうちにたちまち田園風景となってしまった。駅を出てまだ5分も経っていない。栄えてるのは駅前だけなのか岡山市。そういえば岡山駅で、無料の不動産情報誌を読み漁っていたら、2万円台とか3万円台で、けっこう快適そうなワンルームがゴロゴロ載っていた。それでも市街まで電車で1駅とか2駅圏内なのだ。ちょっと信じがたい。

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■発車2分後
■発車4分後

 総社の駅前は閑散としていて、なんだか演歌を流しつつダラリと走るプロレス興業の宣伝カーが妙に似合うような風景である。改札を出たところに観光案内パンフレットのようなものがあり、そいつを頂戴して駅舎を出ると、地元くさいヒマそうなオッサンがひとりでヒマそうに突っ立っていた。あれこれ見所を教えてもらったところ、駅前のレンタサイクルを借りてブラブラするのが一番手頃だということがわかった。

 早速そちらの方面へ行き、手続きをする。1泊2日用のデカい旅行カバンは預かってくれるということなので、お言葉に甘えることにしたのだけど、戸外にある受付所の片隅に「ボサッ」と放り投げられた我々のカバンに「こうしときゃぁでぇじょうぶじゃぁ」などと言ってビニールのシートをかぶせるオバちゃん。いや、目立つし!不自然!そのふくらみ!!

出発! 一抹の不安を残しつつも、出発。このあたりには、昨年デザイン採用されたお得意様があるらしいので、そちらの方へ行ってみたが、完売してしまったのかどうか、俺の関わった品は並んでいなかった。しかしまぁ、親父様によると、そいつを以前に街で見かけた、というのだから、きっとかつてはちゃんと並んでいたんだろう。

040522_4.jpg 総社市街を抜けると、田園風景のド真ん中をつっ切るサイクリングロードなるものが整備されており、なかなか地方の道路行政というのもあなどれないな、と思った。丁度そのサイクリングロードをたどって走ると、古墳や国分寺といった観光地を巡回するようになっており、なかなかに便利なのだ。途中、田んぼだけでなく麦畑になっている箇所もあり、もうアルコール入り発砲系麦ジュース礼賛の我々は「ハハー」「小麦様ー」などとわけのわからないことを言いつつしばらくそこで小麦畑を呆然と眺めていた。

 駅で頂戴したマップには、国分寺の近くに酒蔵があるということなので、とるものもとりあえずそこへ向かった。何よりもアルコール入り米ジュースを愛する我々を、倉はあたたかく迎えてくれるはずであった。しかし……。

040522_5.jpg酒蔵キター!!!

040522_6.jpgどれどれ……

040522_7.jpg……ん???

040522_8.jpg……ナンダナンダ、なんか書いてあるけど。

040522_9.jpgキューーーーーカンビ!!!!!!またこのパターンかよ!!!何年か前に有楽町の日本酒博物館なるものに出向いた時も休館日だった。我々が愛すれば愛するほど、追えば追うほどに逃げられるのか。しょせん片思い、実らぬ恋だというのか。

 不発に終わった欲望を、なんとか留めおく術もなく、手近なコンビニに入ってスバヤク缶ビールを購入した。農道兼サイクリングロードをひた走りながらゴキュゴキュやる。快晴の夕方前に、前後左右容赦なく徹底的に田んぼデゴザイマス!というような景色の中、カンビール片手にサイクリング、というこれまた極楽的なことをやっていたわけですが、当然ながら自転車といえども飲酒運転は道路交通法違反であり、2人して「現行犯!!ゲンコーハン!!!!」などとわめきちらしながら帰路を走る。

 このレンタサイクルは、1時間ごとに料金が加算されていくシステムになっており、時計をみると現時点で2時間45分をちょっと過ぎたあたりだった。マズイ。このままチンタラ戻ってると、ちょっとのオーバーで4時間分の料金を取られてしまう。ちゅうわけでちょっとトバしてみたところ、寸分違わずジャスト180分で帰還。我ながら見事でした。ちなみに我々の旅行カバンは出発時のまま、ビニールをかぶせられて放置されておりました。

 途中で連絡をいれておいた親父様が、総社駅までクルマで迎えに来てくれた。家に着くと、オカンと祖父母が迎えてくれる。曾祖母の仏壇に線香をあげて、ひとまず1年弱ぶりの挨拶をした。なんだろう、さんざん遊んできて、すでにサケも入っているのに、こういう部分で妙に律儀な自分がいるというのがなんだかおかしかった。別段神仏をマジメに信じているわけではないけど、なんとなく挨拶だけはキチンとしておきたいなぁと、そんな風に思う。

 夜は相変わらず酒宴で盛り上がった。前回来た時は、2人でカネを出し合ってけっこう上等の、京都の酒を持ってきたのだけど、今回の手みやげは、

僕:昨日お得意先でもらってきたウメボシ
アッチ:職場でもらってきた韓国海苔

 なんとなくちょっとイイカゲン過ぎたかな、と思った。まぁ2人とも仕事ガンバってますということで。

 21:00頃に祖父母は自宅(隣)へ帰っていき、23:00頃に親父がギブアップして寝てしまい、残った俺・アッチ・オカンの3人は突如としてペースがアップし、トークはヒートアップし、今まで知らなかった過去のアッチの思いとか、相変わらずのオカンの容赦ないツッコミとか、そういうものを耳にしているうちにぼくもいつしか床に突っ伏してしまったのでした。


■2004/05/21(Fri.)■

 得意先に、1日出向というかなんというか、人柱とでもいうんですか。そんなわけで労働奉仕に行ってきました。

 すっごい楽しくて、もう詳しく書けないのが残念なんですけど、僕と同じような出入りの業者さんや、近隣のオッチャンオバチャンと一緒に、実に久しぶりの肉体労働に精を出してまいりました。

 その得意先の、道をはさんだ真向かいが親父の生家で、今はもうぜんぜん違う人が住んでるんですが、しばし感慨にふけっておりました。毎日のように見ていた「あそこ」で、まさか自分の息子がこんな風に労働奉仕することになるなんて、夢にも思わなかっただろうなぁ、と。

 会社の定時より少し早めに終わったので、社に戻ることにしたんですが、かなりすがすがしい気分で帰社しました。やっぱ、たまにはこうやってガシガシと体を動かして、いろんな人とおしゃべりをして気分を一新しなアカンなぁと思いました。一日中閉じこもってチマチマと絵を描いてるだけじゃ、人間までもがチマチマとしたものになってしまいそうだもの。


■2004/05/20(Thu.)■

 学生時代が終わり、日常会話の中で、歌とか、物語とか、学説とか、古典とか、歴史上の名台詞とか、そういうものを引用する必要がなくなって、僕はますますオロカになっていったのかもしれない、というようなことを考えた。

 いや、会話に引用しようがしまいが、そういう知識や「こころ」、あるいは「たましい」のようなものは、絶対にどんどん取り込んで自分の糧にすべきだとは思うのだけど。

 ただ、取り込んだところで活かせないと分かり切っている「こころ」に、いかほどの価値があるだろうとも思う。

 ただまぁ、今活かせなくてもきっとそれらはいつの日か役に立つコヤシとなるとは思うんです。わかってるんだけどなかなかそういうものを摂取するにあたって色々と考え込んでしまう自分というのは、どうにも即物的生活に埋没しつつあるなぁという感じがして、相当危険を感じてはいるんですが。

 ここ最近で読んだ本が、土屋賢二のエッセイだけ、というのはちょっとなぁ。いや、面白いんですけどね、土屋さん。


■2004/05/19(Wed.)■

 久しぶりに露天風呂がある方の銭湯へ行った。

 で、露天につかって「フワァァ……」と空を仰ぎ見ると、月が中天にさしかかり、濃紺の空と月明かりに照らされた雲の絶妙なコントラストを拝むことができた。そこでフト思ったのは、

 「雲模様フィルタを2回かけて、トーンカーブを調整して、チャンネルをコピーして………」

 あぁもうだめ。カンベンして。

 そういえばこの前もチャリに乗りながら、前を走る女の人のケツ、脳内でパスとってたしなぁ。

 夢の中では、友達に関するエピソードやデータが、フォルダで管理されていました。以前、アッチのフォルダが丸ごと行方不明になってアセる夢を見たんですが、もうかなり病んでるなぁと思う。


■2004/05/18(Tue.)■

 いろんな店でもらえる「ポイントカード」の有効期限について考える。大まかに分けて、だいたい次の3つに分けられるだろう。

・無期限
・最終利用日から一定期間
・発行日から一定期間
・日付指定

 まぁぶっちゃけ、なんでこんなことを書いているかというと、サイフの整理をしていて出てきた、HMVのカードが原因である。有効期限は、発行日から1年間。買い物1000円ごとに1ポイント加算され、50ポイントで2000引き、100ポイントで4500円引きとなっている。

 2000円引いてもらうために5万円、4500円引きのために10万円分のCD。オイオイ、普通1年間でそんなにCD買うか?と。かなり条件キビしくないかいコレ。俺なんてもうすぐ期限なのにまだ7ポイントだよ。もう少し現実味のあるカードを希望します。割引額小さくても、1ポイントで100円引きとかさ。

 古本市場のカードは、期限が「最終利用日から1年」であり、しかも1ポイント1円で割り引いてくれるという、かなり「使える」カードではあると思う。こっちのポイントはずいぶんとたまって、現在427ポイントだ。マンガが2冊くらいは買える。うれしい。


■2004/05/17(Mon.)■

 フト、相方様に見せたテレビドラマのビデオ『新橋烏森口青春篇』(椎名誠原作)、これ全15話もあるんですが、何やらハマったらしくエライ熱心に見てはります。

 途中、主人公の上司(イッセー尾形好演)が「ビール2本!」と、やたらと威勢良く注文するシーンがあり、2人して「2本!2本!」とわめいております。ちなみに発音は「にふぉん!」です。

 僕は過去に3回、大きな職探しをしたんですが、3回とも、夜はこのビデオを見ふけっていた。こんな会社だったらいいなぁ、と。仲間がいて、ヘンな上司がいて、それなりに仕事もガシガシやって。まぁたいがいそんな甘い期待は見事に裏切られるわけなんですが。

 相方は、そのへんリアリストで、妙な期待を抱くこともないようです。……ってそれが普通ですか。

 ……なんかここんとこほんっとどうしようもない生活を送ってるような気がします。生きてるっていうか死んでないだけ。生活というよりもむしろ不死活という感じです。でもなんか字面的には「不死活」の方がカッコイイな。

 どうしようもない生活は、どうしようもない文章を呼び、もう僕は糸の切れたマリオネットのようにぐったりとうなだれてしまうのでした。


■2004/05/16(Sun.)■

 この春に新しくできた、西大路のダイヤモンドシティハナに行ってきました。西大路五条なんて、チャリ圏内バリバリなんですが、生憎の雨ということで、バス乗り継いでの移動です。

 京都という街はチャリがないと本当にもうまったく話にならんのだなぁと、雨の中、乗り慣れない市バスを乗り継ぎながらそう思いました。そしてハナは、そうまでして行くような場所でもなかったのです。

 フードコートのような所でヒルメシを食ったんですが、まるでなっていない若い親が多くてなんとも面白くない。子どもが生まれたら、少なくとも数年はすべてを犠牲(ガマン)して、意識的に子ども中心の生活及び立ち居振る舞いを心がけるのがアタリマエなんじゃないんですか。子どもそっちらけで自分らの買い物や食事やトークに夢中になってるバカ親の多いこと多いこと。

 結局、食品売り場でバカデカステーキ肉を見て「おぉ〜!おぉ〜!」とわめいていたこと以外、ほとんど記憶に残っておりません。カナートのデッカイ版みたいな感じでした。本当に大丈夫なのかな、何年もつんだろうアレ。


■2004/05/15(Sat.)■

 京都に引っ越してきて、やっとこさ住処が落ち着いたばかりで友達もいない相方様。そんな彼女を連れてサコ研究室のバーベキューat加茂川に行ってまいりました。学年カブってるやつが1人もいないOBと、先日500キロの彼方から引っ越してきたばかりの人間。ここまで無関係な人間が普通に潜り込んでいけるのがサコイベントのすごいところだと思います。

 とはいえ、俺も顔見知りゼロの所に飛び込む勇気はなくて、先日茶山で呑んだ時の知己が頼りだったんですが、それほど親しいというわけでもなく「あぁ」「ども」的ななんともケツの座りの悪いスタート。素材の調理(野菜切ったり)に言行っているというサコ、はやく帰ってきてくらはい。

 ぜんぜんサコが帰ってこないので、ありものの材料で勝手に始めることに。それでも、肉・シャケ・ソーセージなど盛りだくさんです。そういえば昨日も今日も炭焼だな。

 やっとこさサコが来て、突然バレーボール大会。「楽人くんの彼女さんもどうですか!!!!」……って、俺は誘わんのかい。でもまぁ俺は昨夜のアセトアルデヒドもまだ大量に残っており、なおかつその上にさっきからビールをガブガブ呑んでいるということで、離れてボケーッと眺めておりました。

 「友達できた!」とまではいかんかったようですが、久しぶりにヒトとしゃべって相方様もごきげんよろしく。サコは「こういう日のことを、サイトに載せたいねん!!!学生の日常!?」と、熱く語る。あぁそうか、そういうのがやいたかったんか。つーかそれって日記サイトやん。


■2004/05/14(Fri.)■

 exit君とtomozouさんをお招きして、庭で炭火焼大会!

 思ったより二人が早く来たため、まだ準備中だったんですが、「適当に座ってて」という間もなく2人は「では……」などと言って早速パネポンを始めだす始末。こいつら……。

 庭ではなかなかにコアなトーク炸裂でしたが、ヲタキャラなのに知識がほとんどない私は半分くらい理解できませんでした。多分濃いハナシだったんだろう。そうやって盛り上がっていたら、庭の向かいのオバさんに怒られてしまった。急速にションボリして、いそいそと片づけを始める我々。

 というか、tomozouさんを誘ったのは、長い間借りていた本を返そうと思ったからなんですが、引っ越しのゴタゴタでどこにしまったか分からなくなっておりました。意味ない。いや、なくしたわけじゃないんです。引っ越しの時に見ましたから。


■2004/05/13(Thu.)■

 サコサイト関連で、精華に顔出し。打ち合わせ。

 帰宅してフトンにバッタリ倒れ込んだ。最近、会社から近いしフロもあるしで、相方宅に泊まることが多くて、たまにアパートに戻ると「あれあれ?」という感じがする。まぁ、着替え取りに来たりで、一日一度は帰ってるんですけども。

 しかしいざこうやってひとりで自宅で過ごしていると「アレ?おれふだんこの時間は何してたっけ?」というような感覚に陥る。

 高校や大学の、試験期間終了後もこんな感じだったのを思い出す。普段勉強していなかったので、壮絶な勉強やレポートの嵐をくぐり抜けてひといきついてみると、数日間勉強に費やしていた時間は、普段何に消えていっていたのかサッパリわからなくなってしまうのだ。

 いやまァ、どうせ酒呑んでるとかゲームしてるとかネットしてるとか本読んでるとかそんなんなんですけどね。

 そうやって、ある機会に自分の日常を振り返ってみると、つくづく対外性のない生活をしていることに愕然としてしまい、どうにも精神衛生上よろしくないのである。人と話すのは好きなんだが、モードの起動が億劫なのだ。木尾士目は『五年生』の中で、「皿洗い」と例えて、その辺のあたりけっこういいことを言っている。

「そう、皿洗いみたいな感じ!やり始めるまで結構時間かかるじゃない?面倒くさいなー、でもやんなきゃなーって。でも始めちゃうと案外一気に洗っちゃうよね。で、終わるとすっきりする。そんな感じ」

 こういったセリフってどこから出てくるんだか。前はマンガも描いていた(すでに過去形かい)俺だけど、もうセリフもなんも出て来やしない。いよいよノーミソ腐り始めているような気がする。


■2004/05/12(Wed.)■

 会社で、マシンの入れ替えがあった。なんとG5なんてぇものを与えられていささか興奮気味であります。3月の末に、相場調査と称して勤務時間中にソフマップへ行くなど、かなりオイシイ仕事をしてたんですが、それが今に至るという感じ。

 これまでウチの部署のマシン構成は

・主任:後期のG4
・先輩A:後期のG4
・先輩B:初期のG4
・俺:G3ポリタン
・同期様:G3白いやつ(パワーマックとか言ってた頃ね)

とういうようになっており、相場調査の後しばらくしてG5が納品されてきた時は、これはもう当然のように主任様が取り、あとは順次おさがりというようになっているんだろうなぁと漠然と思っていた。僕は初期G4となり、もうそれだけでも作業環境は大幅に改善されるだろうなとウキウキしていたんですが、

「総入れ替えって、タイヘンやん」

 の一言で、俺がG5をいただくことになりました。ウッハー!!!

 それでまぁ今日はデータを入れ替えたりセットアップをしたりしてたんですが、やはり何かと苦労しました。元々Macは不慣れな上に、OSXをマトモにいじるのも初めてで、どこになにがあるのやらサッパリ……という感じでもうシッチャカメッチャカであります。

 昼休みに、会社から近い相方の家に転がり込んでレスキューを求めるあたり、もうかなりせっぱ詰まっているなぁと自分で思いました。

 でもOSXキレイですね。楽しい。セットアップが終わって最初にやったのは、テキストトゥスピーチで、ゴノレゴの声を出すことです。会社でケンケンよろしく「キシシシシシシシ……」と笑ってしまいました。

 いいんですよ。「変なヤツ」というのはとっくに了解されてますから。


■2004/05/11(Tue.)■

 昨日あんな話を聞いてしまったので、帰宅してまだ明るいうちに、旧居の部屋へ行って、しばしボケーッとしていた。そういえばまだカギを持っているというのもおかしな話なんだが、とにかく何もない、ガランとした部屋で、しばしの間窓越しに西日を見ていた。

 あれだけモノがあふれかえっていて、狭い狭いと思っていたのに、部屋は驚くほど「すこーん」と突き抜けて広かった。作りかけのプラモデルの一部が、窓際に放ったらかしになっており、新居に持って行こうと思ったのだけど、結局そのままにしておいた。

 この部屋では実にいろんな人と話して、いろんなことがあった。中には取り返しのつかないようなこともいくつかあったのだが、最後の「とりかえしのつかないこと」として、作りかけのプラモデルを放置したかったのかもしれない。関係ないような気もするけど。

 思えば3月のあの時は、勤続1年という考えられないような快挙を果たし、相方の来京を間近に控え、桜も咲いているしで、どこかうわついていたのだろうなぁと思う。いざ落ち着いてこの部屋に入ってみると、さまざまな憧憬と、それに対する解釈、そしてとりとめのない思考の断片が濁流のように押し寄せてくる。

 思い出にすがりつくのは趣味じゃないけど、歴史がいとおしいのは仕方ないじゃないか、と思いつつ、しばらくそこに立ちつくしていた。


■2004/05/10(Mon.)■

 会社から帰ってきたところで、大家の息子さんとばったり出会った。けっこうアニキ系の風貌で、いつも会うと「オハヨっす!」とか「ちわッス!」などと気分のいいえ挨拶をくれる人で、こと人と遭遇するのは結構うれしい。大家の家系は、農業兼・漬け物作りの家で、今日もトラックで畑から帰ってきて、カンビール片手に片づけ仕事、というような感じであった。

 息子さんは「どうや!?新居は。慣れたか?」と聞いてくる。「まぁ、間取りが同じなんでボチボチ……、でもその分ビミョーな差が気になるっちゃぁ気になりますけど」

 「わはは、そうやろうなぁ」と彼は言って、いろんな話を聞かせてくれた。僕がこの春まで住んでいたボロアパートは、築40年くらいのシロモノらしい。「俺が幼稚園の頃に建ててたからねぇ」ということだ。40年前と言えば、俺が生まれる約15年前である。ウチの両親はまだ高校生だ。古い古いとは思っていたが、まさかそれほどまでとは。

 そしてこの旧居は、近いうちに潰してワンルームに建てかえるらしい。さすがにこんなアパートじゃ、最近の学生は住んでくれないようだ。いまだに四畳半フォーク的なものに憧憬を感じる僕のような学生はとっくの昔に絶滅したのかもしれない。

 それはともかく、もしかしたら、明日は帰ったら跡形もなく粉砕されているのかもしれないなぁ、という若干のせつなさを感じた。以前ここで「もうあまり思い入れはない」というようなことを書いた記憶があるけれど、どこか遠くへ引っ越したのならともかく、目の前に住んでいて帰宅したらなくなっていた、というのはやはりいささかしんみり来てしまいそうだなぁ、と思った。


■2004/05/09(Sun.)■

040509.jpg 近所の定食屋で、普段はあまり頼まないものを頼もうと思って、カツカレーを注文したら、こんなバカデカカレーが出てきて肝をつぶした。500円だし、まぁハラの足しになれば、という軽い気持ちで頼んだのだが、いやいやエライ目にあいました。しかもけっこう辛い。いや、辛いもんが苦手というわけではないのだけど、刺激系は食うとすさまじいまでの汗を噴出する体質なので、毎度毎度難儀するんである。

 わさびや辛子などは割と平気である。辛いものにも色々あるので、発汗作用のあるものとないものがあるんだろうと思って、今ちょっと調べたのだけどどうもよくわからない。

 その代わり、こんな本を見つけた。もう、見るだけで体中からドバドバ汗が流れ落ちそうな本だが、こういうのを読んでいると、いろんな人と話をするときに面白く展開できそうだなぁと思った。でも、もう余計な本を置いておくスペースがないんだなぁ。

 先日書いた「買い控え」の話と、「ノーミソ退化」の話が、なんだかおかしなところで結びついたが、そういえば、思うように本を買えなくなってから数年経つ。売るか捨てるかすればいいのだけれど、「ひょっとしてフトした時に調べごとがあるかも」と思うとなかなか処分できない。実際、そういうことがよくあるのだ。それでさんざん部屋を捜索した挙句、「あぁ、そういえば去年処分したっけ」というようなことを思い出し、ひっくり返された本の山を前にヘナヘナと崩れ落ちたりしているのだ。

 4畳半、フロなし台所共同家賃8000円、という物件を以前見つけた時に、半ば本気で書庫として借りようかと思ったことがあるが、そうしたらしたで今度はわざわざ探しに出向くのが億劫になるんだろうなぁ。


■2004/05/08(Sat.)■

 昼過ぎまで寝てて、「Xi」をやったり京都ガイド本を読んでゴロゴロしたりして、夕方前に出発。

 今日はアッチと、その相方である「姐」も交えて、僕の相方の来京歓迎会をすることになったのだ。なんだろう、いわゆる「カノジョ」が引っ越してきて歓迎会しましたワーイ!なんてのは、本当に惚気日記のようでいささか気恥ずかしいのだが、事実なので書いてしまう。

 昨夜からウチで遊びまくっていた俺とアッチ組、神戸からはるばるやってきた姐、先に四条入りして自分の買い物をしていた相方、という組み合わせで、いささか合流に関して危惧があったのだけど、彼女らは一足先に河原町OPA前でバッタリ会ったらしい。うーむ、引っ越し4日目にして河原町での待ち合わせ(しかもチャリで)を難なくこなすとは、我が相方、けっこうデキるのだ。

 唯一「酒呑み」でないヒトが主賓なので、無難なところで京極の「市場小路」をチョイス。ここは京都の地ビールが呑めるので、そいつでシーザーサラダやマグロのカルパッチョなんぞをついばんだ。

 せっかくなので、もう一軒行きたいなぁ、とウロウロしていると、四条木屋町まで来てしまった。高瀬川のほとりに腰をおろし、少し遠くに聞こえる弾き語りニーサンの声を耳にしつつ、休んだりしゃべったりする。高瀬川には、カルガモのつがいがいささかケダルそうなおももちで座っていた。

 結局、西木屋町のこぢんまりした店に入ると、一番奥の上等そうな座敷に通された。ナンデスカコレハ接待デスカ!?という感じでオロオロしてしまった。酒呑みとは言え、家呑み率が高い我々は、こういう不慣れな席に通されると瞬時にしてハシャぎまくってしまい、いかんなぁ、ガキだなぁと痛感してしまう。

040508.jpg その店は、野菜モノが充実しており、なすの田楽とかを食って、あぁいいなぁ、ヤキトリや刺身もいいけど、こういうほっこりしたやさしい味は、野菜だよなぁとウムウムうなずきつつ、焼酎を2杯もあけてしまった。帰りの地下鉄ホームで、アッチ&姐とは対向になったので、パチャパチャと写真を撮りまくっていた。酔っていたんだなぁ。


■2004/05/07(Fri.)■

 夜、ママ・オブ・相方に誘われて、新居近くの居酒屋でゴチソウになった。実はその後、アッチが家に呑みに来る予定になっており、とりあえず買い出しをしておかなければならなかったのだが、間のいいことにというか悪いことにというか、鶏のキモを格安で手に入れてしまったのだ。

 キモの調理法はぼくはあまり詳しくなく、アッチにメールで質問してみたのだが、勤務中らしく返事が返ってこない。彼はたまにマニアックな薬味を要求してくることがあるので、必要なものがあるなら、それも買ってから「およばれ」に向かおうとしてたのだ。

 が、スーパーが閉まるギリギリになっても返事はなく、その直前に交わしていた三国志ネタのメールだけが返ってきて「そんなんどうでもええねん!」などと思いつつ、諦めて相方宅に向かう。ずいぶんお待たせしてしまったみたいでなんとも申し訳なかったのだが、遅れた理由が「鶏のキモ調理法」というのもいささか問題があるなァと思い、平謝りに謝るしかなかった。

 ママ様とはいろんな話をした(というか、話を聞かされた)んですが、そうやっていろいろゴチソウになった22:00前、そろそろお開きに、という頃になってアッチから「キモにはネギだ!!!!」という元気いっぱいのメールが。ちょっと遅いで……。

 まぁ、帰りに酒屋系コンビニで買えたんですけどね、ネギ。かなり高くついた。ネギ。


■2004/05/06(Thu.)■

 なんだか最近ここの文章からどんどん知性や品性が欠落していっているように思える。OPALの日記を毎日愛読していると、「あぁ、ちゃんとモノを知っていて、考えているというのはこういうことを言うんやな」と、気分は転げ落ちるように盛り下がってしまうのであった。

 それでちょっと、ここ最近の日常生活を振り返ってみたところ、仕事中は、段取りや絵柄のことしか考えていないし、それ以外の時間は呑むことと食うことしか考えていないという信じがたい結論に達してしまい、我ながら呆然とするしかないのであった。これではイカンのである。

 読書の量と議論の量と街角観察の時間が圧倒的に減った、というのがおそらく直接的な原因だと思う。あと、奨学金の倍近い定期収入が入るようになって、工夫しながら生活を組み立てるという基本的な頭の訓練がゴッソリ抜け落ちてしまったというのも大きいだろう。倍、と言ってもそんな高給取りというわけではなくて、大学院時代がビンボー過ぎただけなのだが、とにかくありとあらゆる面において、元々ダメだったボクのノーミソは飛ぶ鳥を落とす勢いで崩壊しつつある。

 「文章を書く」というのは、本来は頭の訓練として結構有効な手段なんである。だからここの文章を書くのもそれなりに役に立っていそうなものなのだが、いつもいつもヘロヘロにヨッパらってもうどうしようもない状態で2ヶ月も前の記憶を頼りに書いているので、せいぜい指を動かしてボケ防止、くらいの効果しか期待できないだろう。

 実はさっきから、なんとかしてシメの文に持って行きたいのだが、まったく浮かばない。もうダメだ。


■2004/05/05(Wed.)■

 昼すぎに、相方様が来京。不動産屋に寄ってカギを受け取り、新居に入室らしい。もうしばらくは、関東に帰ることもない、というのがなんだかフシギな感じがする。

 新居の近くに住んでいる大家さんは、なんか服はピンクだし、ことあるごとに「イヤァーーーーー!!!」などと叫ぶしで、なんだか林家パー子のようなオバちゃんでした。

 新居と言っても、引越屋が来るのは明日だか明後日だかで、まだフトンもないので今日はウチ泊まり。うーむ、なんだか今までと変わらん。


■2004/05/04(Tue.)■

 堀川紫明を1本下がったところの交差点は、いっつもタクシーが客待ちしてる。なんなんだテメーらは!!邪魔じゃねーか!!つーかそんな交差点のすぐそばでクルマ止めてんじゃねーよ!!

 そういえば、チャリもチャリだ!右側通行で対向してくるんじゃねー!!オマエらはあっちを走りやがれ!!

 修学旅行生!!!!班だかなんだかしらねーが、道幅一杯に広がって歩くんじゃねぇ!!

 ねぇちゃん!!オバちゃん!!おばぁちゃん!!クルマ運転しながら、地図確認したり、曲がるか曲がらないかトロトロ走りながら迷うのはやめれ!!

 俺もやはり先日事故ってから、さらにこういうことに敏感になった。自分の運転も色々と気をつけている。最近はライトも灯けるようになった(最近かよ)。


■2004/05/03(Mon.)■

 サコサイト作業がようやく軌道に乗り始める。今日は夜にS.N.邸におじゃますることになっているので、昼の間にかなり集中してガツンを作業をしましたよ。

 思えばS.N.が結婚して以来、お邪魔するのは初めてだ。一体どうなっておるのか、いささか緊張のおももちで訪ねたのだけど、ヨメサンが妊娠中で伏せっておられたことを除けば、かつての下宿屋的木造建築物に、本やコンピューターがズラリという光景そのまんまで、なんだか安心したのでした。

 彼はweb関連の仕事をしているのだが、このたび勤めていたところを辞めて自営業になる!ということで、この2,3日そのためのオフィス作りで友達を巻き込んでの多忙を極めていたらしい。僕がお邪魔した時も、家じゅうをLANケーブルが這っていてなんだかすごいことになっていた。

 S.N.氏がカレーを作りながら「ところで今日、“ほしのこえ”持ってきてないよねぇ?残念だったなぁ、もう一度みんなで見たかったのになぁ。」などと言い出すので取りに走りましたですよ俺は!!メンドウだったので原付を借りてしまうあたり、性格の根本的な部分がどうにも怠慢になって来ているなぁと感じざるを得ませんでした。スクーター初めて乗ってコワかったです。ボクの原付は、スロットル全開にしても40Km/hくらいしか出ませんから。

 さて、カレーを食って、ビールを呑んで、『ほしのこえ』を観て、うだうだと喋っていると、どんどんヒトはやってくるし、電話はかかってくるしでこれはもうまったく『きょうのできごと』そのまんまの世界やなぁと。

 S.N.と久しぶりに哲学談義を交わし、『ほしのこえ』論をたたかわせ、ビールから神の河へ切り替えたあたりで、既婚女性が乗り込んできて「ケッコンはイキオイだよォー!!!」などと叫ぶ。「うむ!!」とバチバチひざを叩いて同意するS.N.氏。『ほしのこえ』論はたちまちにして雲散霧消し、ひとり未婚の俺は、ただボーゼンと座り込んで神の河をあおるしかなかった。

 そうかケッコンはイキオイなのか。なんでも計算づくでやってしまうのが好きな俺は、もしかしたら一生縁のないシロモノなのかもしれない。ここ最近で、イキオイでなにかやったと言えば、年はじめにプレステ2を買ったくらいだ。


■2004/05/02(Sun.)■

 サイトデザインの仕事は実に久しぶりで、紙にレイアウトをぐちゃぐちゃ書き殴っておりますが、どうにもいまいち。もう少しハッキリ言うと、どれもこれも以前にどこかで作った記憶のあるレイアウトばかり。普段あまり見ない、色んなサイトを今更のように見て回って研究をしているのだけど、サイトの方向性や情報量であるていどレイアウトは決まってしまうのではないかという感じがする。

 flashを使えばもう少しいろんなことができるのだろうけど、今からflashを勉強しているヒマはない。去年の職探しの時に「flash使えないなんてお話にならない」という経験をしたのだけど、今になって身にしみて感じるとは。

 普段、会社の仕事で手のひらサイズの物のデザインを、イラストレーターやフォトショップで描チマチマと描いているだけだと、いきなりこうデカイもんのレイアウトなんて対応できなくなってしまっていてなんともはや、情けない限り。

 なんかレイアウトのいい参考例がないかと、カナートの本屋まで行くが、特に収穫なし。

 ガックシ。


■2004/05/01(Sat.)■

 この日の分を打ち込むのは、これで3度目である。一度目は、書いている途中で突然編集ソフトが落ちた。2度目は、用心深く保存しつつ書いていたにも関わらず、どういうわけか作業が終わると、打ち込んだ文章だけが一切消え失せていた。同じような文章3度も書くのは本当にイヤで、イヤでというよりバカみたいなんですけども、とりあえず、行きます。

× × ×

 頼まれていたサコサイトを、そろそろいい加減作り始めねば、と思って作業を開始しましたが、ポップアップメニューの作り方がどうしても分からず、夜にツタヤへ走る。バイクに乗るのも実に久しぶりだ。

 ナルトと20世紀少年の新刊も出てたので、同時に購入。あと、aikoの新しい歌も。aikoシングルは、棚にあった時は初回ジャケだったのに、帰って開けたら違ってた。どういうこっちゃねん。

 問題のポップアップメニューは、なんとかなりそうだけど、あとあと学生にひきつぐ時に、これできんのかなぁどうなるんやろと考えたらちょっと不安。



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