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■2001/06/30(Sat.)■

 学内でひっそりと行われていたパーティーにゲスト参加。

 僕、先生2人、初対面の学生の4人で語る。「大学の持つイメージ」に始まって、女子大の話になり、そこから結婚観の話にまで至る。一緒に何事かを考え進めようという思考の実験、自然発生的なディスカッション。ワクワクします。エキサイティング。

 ディスカッションと言えば、明楽が来週の授業で、あるテーマにディベートをやるそうで、少々アドバイスなんかも入れさせてもらったんだけど、そのことをS.N.氏と話していたんですね。氏曰く「俺と楽人と明楽の3人で模擬ディベートやったら面白そうなんだけどな」……まではいいのだけど「まぁでも楽人みたいなトリッキーな奴相手じゃ、実戦の役には立たんな」…って、誰がトリッキーやねん。

 …トリッキーでしょうか…?

■2001/06/29(Fri.)■

 久々の晴れの日。表で煙草を吸う。キモチいい。

 研究室のwebの作業をやったり、学生がコラージュを作るのを手伝ったり。こういうのどかな日があってもいいでしょう。のどかだと、なんとなく体の方がユルんでもへ〜っとしてしまいますけど、その分エネルギィが頭の方に回って、グルグルグルグル思考が進みます。エネルギー保存の法則。

 こういう、頭に浮かんだ思考を、もらさず書き留めていくことができれば、といつも思う。とりあえずラフに書き綴ってみたり、キーワードを羅列してみたりするけれど、後で読み返してみるとさっぱり意味が分からないことが多い。なんでだ。

 創作も研究も、頭に浮かんだイメージなり思考なりを目に見える形に変換して他人に伝えていく、という作業だと思うのだけど、どうにも頭のスピードに手がついていかない。ちゅー画伯も言っていたように「未完成は駄作にも劣る」ということで、とりあえずじゃかすか記述していけばいいのだろうけど、記述すればするほどに不完全さが目に付き、本当に言いたいことを言えてないような気がしてくる。

 それでも1つづつやっつけていくしかないのか。定番の言い回し、使い古された言葉たちを忌み嫌ってきた僕だけど、「定番」であることにはやはり意味があるのだろう。

−小さなことからコツコツと−


■2001/06/28(Thu.)■

 先日、アメリカに留学する友達を見送る会があったと書きましたが、その時の写真が研究室にできあがってました。

 なんか俺、ハジけてます。そもそも笑っている写真自体少ないのに、色々ポーズつけてるし。男の子と頬寄せあってるし。うーわー。早速、TAやってる授業の1回生の面々に見られる。「楽人さん、キャラ違いますよ」……って、そこ!ポーズを真似るなぁぁ!!!

 一生分の生き恥をさらした気がします。もはや無敵。今週は何かと「一生分」が多い。もしかしたら全然大したことないのかもしれません。


■2001/06/27(Wed.)■

 アッチも僕も空きの日ということで、ちょっと朝寝して、午前中は迎え酒を頂いたり、パネポンをしたりして過ごす。いいのかこんなことしてて。

 午後から市内へ出て、これまた空きの日の、アッチの恋人さんと合流。前にも書いたっけ?このアッチの恋人さん、僕の大学時代の先輩にあたる人なんですが、最近会う度に以前からは考えられないイメージチェンジを展開してくれます。今日も「おお、誰かと思ったわ」と言うと「それを狙って服を選んできたもん」……って、俺の反応を基準にすんなよ。アッチ来るの分かってんやから、彼を基準にしたれや、とも思ったんだけど、そういう人、本当はスキです。「恋人が来るから」なんてことに囚われないで、場全体にどうネタを振るかを考えられる人。アッチも笑ってつっこんでましたし。

 というわけで色々話しながら遊んだわけですが、なんか日曜日に遊んでるより水曜日に遊んでる方が罪悪感が…。やっぱ水曜日は働く日にしましょうってことですね。

 夜は、銭湯の壁面でヤモリの決戦を見ました。ヒョコヒョコズビー。


2001/06/26(Tue.)■

 夕方、Michaelから電話。先日僕が入れておいた留守電に対するレスポンス。

 すぐ後、アッチから電話。今日は仕事が早く終わったので呑もうか、ということで北大路で待ち合わせ。

 出る準備をしていると明楽からメィル。みなみ会館のタダ券をくれるとかで、ちょい待ち。

 なんかこんなに一度に人からアクセスがあるのは初めてに近い体験だったので、少々ビビりました。一生分の運というか、人脈を使い果たしたような気がして。もう二度と人から電話とかかかってくることなんてないんじゃないか、と。というか、以前からこっちがなにかしない限り滅多に人からのアクセスなんてないんですけど。

 アッチとの呑みは相変わらず笑いに溢れています。そして彼の茹でるそうめんも相変わらず天下一品でした。そういえば「この前、ウチの台所に素足で立ったヤツがいる」と言うと「まじで!!!???」と真剣に驚かれたんですが、どうなんですかこれは。ついでに「キミん所の調味料系はコワいねんよ」などと言って、ワサビと生姜を新調したりして。いや、大丈夫だって、胃にワイヤが生えてる僕らなら。

■2001/06/25(Mon.)■

 あるレンタル掲示板で見つけた広告バナー。

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 右端に写っているのはかの北条時宗である。鎌倉幕府の執権として、蒙古の襲来を退けた時宗だが、まさか彼が人材派遣会社からの「派遣執権」だったとは。そういえば江戸時代の武士は、いわゆる「武人」はほとんどおらず「お役人」として牙を抜かれ、サラリーマン化した者がほとんどだった、という説を読んだことがある。今日の雇用の実態は、鎌倉時代にまで遡ることができそうだ。

 きっと鎌倉にも江戸城にも、学生アルバイトが大勢いたんだろう。時給10文、なんつって。

 そういえば桂三枝さんの創作落語で、扇の的を射た那須与一が学生アルバイトだった、というようなのがあったなぁ。


■2001/06/24(Sun.)■

 京都路上観察with猫松ゼミの面々。

 今日は特にこれといった目的も決めないで、街をブラブラ歩いて、気に入ったモノや音を見つけたら観察したり話し合ったリしてみよう、というわりとTake it easyな集まりでした。

 午後1時半に烏丸御池を出発して西へ。室町通りを北上して(途中小松さんお気に入りのバカ建築観察)夷川通りまで。夷川通りを一筋西へ行き(和菓子屋さんで買い食い)、衣棚通りを南下。再び御池に出たら(車の騒音とその対策についてレクチャー)今度は東進して東洞院通りを南に下がり、三条通り(途中、音風景の採取に関して録音技術のレクチャー)を東へ。そのまま鴨川まで出て休憩した後、もう一度西へ引き返し(途中楽器屋物色)、河原町通りを南下。六角通りを寺町方面へ歩き、寺町を下がり、錦小路通りに入り、麹屋町通りを南に下がり、四条麹屋町のブティックで服を見た後、四条通りを西進、カメラのナニワでデジカメを物色し、さらに西へ。両替町通りを南に折れて夕食。食後、四条室町を北上し、旧明倫小学校、現京都芸術センターに入り、祇園祭に関する展示資料を見る。芸術センターを後にしてさらに室町通りを北上し、祇園囃子の練習を見学して、音風景を観察。他の練習風景も見てみようとしばらく辺りをウロウロするがみつけられず、9時頃解散。ゆうに8時間にわたる「散歩」でした。京都の地理をご存知ない方には分からない話で申し訳ないんですが、地図を作ってみましたのでよろしければどうぞ。

 この小松先生、もともとサウンドスケープ(音風景)を研究してらしゃる方で、行く所行く所で手を打って音の響き具合をみてらっしゃったのが印象的でした。

 それと、出発時に10名ほどだったメンバーが、自分の興味のあるモノを見つけるやいなや、次々に「戦線離脱」していく様も面白く、自分も含めて、街中で人がどう動くか、というようなことの一例を垣間見た気分でした。観察の主体(つまり観察する側)すらも観察対象に含めてしまう、という手法は社会学の領域で実際にあるらしいんですが「ああ、こういう感じなんかいな?」という気分で。

 さて。ネタ。

 残り面子も俺、猫松先生、2回生の永井氏の3人にまで減り、芸術センターで見学してる時に出会った(おそらく)地元のオジさん。祇園祭についてやたらと熱く語ってくれました。ひとしきり話し終えた後、「キミら、学生さんか?」という問いに対して。

小松・僕・永井氏はい、そうです」

 いや、小松さん、小松さんは先生です。教員教員。引率。まぁ実際この春まで博士課程で研究なさっていたそうなのですが、慣れってのは恐ろしいもんです。

■2001/06/23(Sat.)■

 映画の日。『非・バランス』atシネ・リーブル梅田。

 明楽の影響もあってか、映画館で映画を観ることが楽しくなってきた。しかし俺は大阪だぜ!わざわざ映画を1本観るために梅田まで出てきたゼ!!朝日シネマとかみなみ会館とか、世界が小さいぜ!おれは梅田デビューだぜ!今にお前より映画喋れるようになってやるぜ!などと意気込んで劇場入りしたら、わずか90席の小劇場だった。こういう単館系劇場は京都も大阪も変わりなし。というか、そんなクダラナイことで張り合ってた自分が途端にショボく思えてきました。

 映画は、良かったです。主演の派谷恵美ナイス。またReviewにて語ります。

 梅田も随分歩き慣れた。映画のこととはまた別に、自分にとっての京都という都市とと大阪という都市の意味付けというか、使い分けについてもまた喋りたくなった。近いうちに書いてみよう。

■2001/06/22(Fri.)■

 夕方、研究室で作業中、サコさんに誘われる。何でも、先生のトモダチの外国人仲間の家で今夜パーティーが催されるとかで、聞けばその家ってのが思いっきり僕の通学路で、まぁ特に予定もないし行ってみるか、ということで参加してきたんですが。

 ムッチャ楽しかったです。

 かなり高揚しててあまり覚えてないんだけど、カナダの人やらイスラエルの人やら、もはや無国籍状態。総勢10名ぐらいの所に日本人は俺を含めて2人だけ。

 いやしかし、さすがに自分の英語力のなさは痛かったです。本当は「やっぱ英語が国際語だよねー」てな現状がイヤでイヤでしょうがなかったんだけど、いざ酒の席にいると、メンツが自分の知らない言語を使っている、というのが妙に悔しくて、ちょっとマジメに英語やり直そうかと思ったよ。

 何につけても、酒が基準。酒の席が思考の場。なんか間違ってますか?

■2001/06/21(Thu.)■

 人文学基礎TAの日。

 今日は課題の発表の日ということで、それぞれ「自分の住む(住んでいた)町」について語ってもらった。

 それぞれの土地に関して、歴史を調べてきた学生もいれば、あくまで主観的な「思い入れ」に基づいて喋る学生もおり、まだその辺は自由にやってもらっているので特にツッコんだりはしないのだけれど、僕が面白いなぁと思ったのは、こちら側からは「自分の住む町」という言葉しか使っていないのに、その領域の切り取り方が実に千差万別であることだ。

 県でくくる人もいれば市でくくる人もいる。区や町でくくる人もいるし、中には高校時代の寮で攻めてくる人もいて。

 単純にその土地の歴史を調べてきた人、と今書いたけど、その「土地」の切り抜き方にその人の生活観や思いがすでに含まれているのだな。面白い。

 夜は明楽と呑み。コイツとゆっくり喋るのも久しぶりだ。アッチキクオなんかとは、とりあえず呑めるだけ呑んで、バカやって目一杯笑うことが目的(?)なので、何も考えずにクイクイ呑んでりゃいいんだけど、明楽とはちょい勝手が違って、やはりお互いの現状やら展望やら思想やらを語ることこそが最高の肴なので、油断できない。普段なら「酔ったモン勝ち」のところが、「酔ったモン負け」というか、酔ったらそこで終わってしまうので、もったいなくて2人ともヘタに酔えない、という事情がある。こういう酒もいい。

 酒の肴は、やはり相手との関係性にある。生ハムのカルパッチョも、しめじの醤油バター炒めもかなわない。コンソメのようなマグロのフレークに何ができるちょこざいな。

■2001/06/20(Wed.)■

 先週、親父バイト終了というようなことを言っていましたが、ちょっとやり残した作業なんかもあって、本日、本当に最終出勤。で、あいかわらず洗浄作業。

 来年度よりの田舎暮らしに向けて、父も業務縮小していくのかな。思えば中学生の時から本当にいろんな飲食店でいろんな手伝いをしてきて、楽しかったり、辛かったり、怒られたり、誉められたりでした。仕事の口が一つ減った、という現実的な問題に本来なら目を向けるべきなのかもしれませんが、やはり(常に「臨時雇用」であったのだけど)10年にわたるひとつの「関係性」の終焉に情緒的な視点を抑えきれず、隠しきれず、何をか言わんやです。

 以前読んだ『父性の復権』に「なぁなぁの”トモダチ父親”の蔓延が、今日の若者の暴走を招いている」というようなことが書かれていましたが、ウチの事情を見ていると「そんなワケあるかいざまぁみろケッケッケ」な感じがしますね。トモダチでもあり、兄のようでもあり、上司でもあり、そしてやはり父でもある彼の存在は大きいです。

 どうもありがとう。もし、また「臨時」があれば馳せ参じます。


2001/06/19(Tue.)■

 ここんとこ雨続き。まさしく梅雨ですな。

 始末の悪いことに、(大学に)行く時は降っていなくて、帰りに土砂降り、という感じなので、ドロップハンドルで傘も使えないチャリンコ通学の僕はいつもビショ濡れになって帰るハメになるんですが。

 家にはちゃんとカッパがあるんですが、それを携帯しない怠慢がこのような結果を招いているんだ、ということで、ここ数日間はカッパを常に鞄に入れて通学しています。

 ところが、そうするようになってから、行きも帰りも雨が降らない。「雨具を用意した日に限って雨が降らない」なんてまるでマーフィーの法則みたいだけど。とにかく今後もカッパを持ち歩こう。カッパを持っている限り雨は降らない。無敵のカッパ防雨法。

 今までカッパは雨具だと思っていましたが、まさかまじないの道具だったとは…。


■2001/06/18(Mon.)■

 この春からfeelH"に乗り換えた僕なんですが、従来よりの記録癖のご多分に漏れず、H"でやりとりしたメィルもパソコンに転送できるように設定して、ログを残すようにしています。

 先日ある友人に対して「おぉー!」と思うことがあったので、そのまんま「おー」という件名でH"からメィルを送った。その後何度かやりとりが続いたんだけど、僕も相手も返信するときに件名を変えない人なので、そのままの状態で会話が続いた。

わーおわーおわおー…ボバンババンボンボンバ…… 帰ってきて、パソコンに転送されてきたものを見てひるんだ。H"と違って一度にいくつかのメィルが一覧できるので、延々と「おー」のメィルが続く。おーおーおーおーおー。まるで何かの儀式みたいだ。実際には、最初の話題からもハズれて「ひどい雨で帰るに帰れへん」てなショボい話に移行してるんですが。

 おーおーおー。


■2001/06/17(Sun.)■

 ひっさしぶりになんにも予定がない日。

 たまりにたまった家事をエイヤッと片付け、当てもなくチャリンコを転がす。帰りにツタヤに寄って映画を借りる。

 ビデオとコンポをつないで、映画館チックな音の再現を試みる。成功。今日からレンタルビデオ常習者。イェイ。


■2001/06/16(Sat.)■

 高校時代の友人、キクオが、精華で行われる講演会に来るということで、道案内したり、精華を案内したり。

 昼飯を食ったあと、彼は講演会に、僕は研究室へそれぞれ向かったのですが、ほどなく彼から電話。「おもんないし、出てきたわ。どっかで呑まへんけ?」…って、キサマ何しに来た。

 どうやらキクオ氏、柄谷行人の話より私と呑んでる方が楽しいみたいで。それは本当に友達冥利につきるんだけど、講演会のネタを肴に呑もうと思っていた私の(俺も結局は呑むつもりだった)思惑はどこへやら。

 で、近所の酒屋でビール買って、あとはウチにあった酒を持ち出して加茂川の土手で呑んでました。

 最初はお互いの興味ある分野として、哲学談義からはじまり、ニーチェやらポストモダンやらフッサール現象学やらを非常にアヤシイ知識でくっちゃべっていたんですけど、いったんタガが外れるやいなや、一気にシモネタ合戦へ。しまいには言葉ではあきたらず、「実践」にかかるキクオ。ええ、まぁ、ここでは多くは語りませんが。というか、語れませんが。

 夕方前から呑んでいたので、暗くなり始めたころにお開きにして別れたんですが、彼、これから大阪に帰ってさらに友人と呑む約束があるとか言ってました。大丈夫だったんだろうか?


■2001/06/15(Fri.)■

 俺がメインで出入りしている研究室の先生、今年から精華に来た先生なんですが、色々な事情で学内外問わず若い知り合いというか、弟分というか、友達が多い方でして。

 今日はそんな中の1人が、アメリカに留学されるとかで、手の空いてるヤツ総勢11名でお見送り会。

 精華数名、京大数名、その他数名、学生以外数名という、立場的にも年齢的にも国籍的にもメチャクチャ雑多なメンバーで焼き鳥屋へ。

 しょっぱなから備え付けの醤油のビンを割ってしまう中国出身のOさん。トバしすぎ。そして飲みものが2杯目になっても料理がほとんど出て来ていないというお店、客ナメ過ぎ。

 まぁ色々あった呑み会だったんですが、こういう大人数での呑みは経験値低くてどう場になじんだらいいものかちょっと戸惑いつつの参加でした。色んな学校から来てる人達だったんで、誰かが「これは合コンだ」とか言い出して、俺的には「え!?これ合コン!?ちゅーかお見送り会と違ったん!?」ってうろたえたり。

 2次会は先生宅に移動して各自勝手に。青森出身の通称「だべさん」(ニックネームどうにかならんのか)と妙に気が合い、色々自分のことや身の回りのことを語ったり。

 思えば4月、何のコネもない状態でいきなり研究室におしかけて「TAやらせてください」って言いに行ったことから始まって、今こういうネットワークの中にいる。人から見たら些細なことかもしれないけど、自分の手で開拓しつつあるこの世界に乾杯な気分。


■2001/06/14(Thu.)■

 僕がTAを受け持っているのは「人文学基礎」という1回生の授業なんですが、今日はインターネットを使っていかに自分の欲しい情報を引き出すか、という演習でありまして、どういうわけだか私が講義をすることに。いや、聞いてませんって。

 そもそも、今の18〜19歳のネット習熟度もリサーチできてないし、よしんばリサーチ済みだとしてもばらつきがあることは容易に想像できるし、どういう風に喋ったものか…。結局、ベテランさんは無視して、「今日はじめてネットに触れる人」を想定して話をしたんですが、気がつけば何度も同じことを言ったりして、我ながらどうしようもない講義に終始してしまいました。

 いやしかしねぇ、何でもそうなんだけど、特にネットは「習うより慣れろ」なんだよなぁ。目的に見合った検索サイトの選別、キーワードの選択、検索結果からの閲覧選択。慣れれば慣れるほどに「経験:勘」の割合で「経験」部分が大きくなることをまさに「経験」済みの私としては、今日の講義でいったいいかほどの成果が期待できるものやら…、とドキドキしてたんですが。

 みんなこなれてますね。今日はとりあえず好きにいじってもらったんですけど、それぞれ興味のある分野のサイトに行けてる。まぁYahooがGoogleと提携してるってのもデカいと思うんですけど、俺らの時はなんだかんだ苦労してサイトを探したものなんですが。

 とか言いつつ、レポートをメール提出にしたら、マトモに送れていない学生が半分くらいいて、講義的にも、技術的にもまだ問題アリみたいです。


■2001/06/13(Wed.)■

 親父バイト

 ひととおり私の仕事は終わったということで、とりあえず第一期親父バイトは終了。…っちゅーか、収入源なくなったよ!!バイト探さんと。

 「じゃ、第2期は今週土曜からヨロシク!」なんてふっかけてみても、「いや、やることないって!」なんてあっさり切られる始末。

 ところで、家庭での居心地があまりにいいのは、子どもの教育上ヨロシクないと思うのは私だけ?<結構暴言


2001/06/12(Tue.)■

 明楽と映画『ユリイカ』を観に。

 ここんとこ観た映画や読んだ本やらがたまってきて、ちゃんとレビュー書きたいんですけど、ちょっとサボり気味で。

 その後、お気に入りの居酒屋で呑み食いしつつ『ユリイカ』について語る。普段人と一緒に映画行っても、その後その作品について語る、っていうことがない私なんですけど、今日はなんだか饒舌で。こういうのも悪くないですな。以前『耳をすませば』の2回目を観に行った時なんぞ、同行人に「ちょっと今話しかけんといて」とか言ったりして、ちょっと悪かったなぁというか、申し訳なかったなぁというか。

■2001/06/11(Mon.)■

 今年からセイカに来られた小松先生、通称猫松先生。先日ちょっとお話しして、ぜひまたいずれ研究室にでもお邪魔してゆっくりお話してみたいなぁと思っていたのですが、今日、かないました。

 と言うのも、もともと自分トコの研究室のwebの作業をしてたんですね。で、途中お手洗いにたって戻る時に、1匹のノラ猫が(セイカにはノラがいっぱい棲みついているんです)、ヒョコヒョコと小松さんの部屋へ…。「先生、猫っすよ…」と声をかけてみると、先生どういうわけか狂喜。「猫松の所に猫が来た〜っ!」って。

 せっかくなのでそのままお邪魔して色々語ってきたんですが。私の研究のことや、先生の研究のこと。人と人とのつながりのことetc...。

 フト横を見ると、先ほどの猫、先生のざぶとん占領。この部屋で一番の特等席に陣取るなんて、イキな猫じゃないの。

 あまり濃い話にはならなかったんですが、24日に行われる3回生ゼミのフィールドワーク「京都路上観察」にゲスト参加させてもらうことになりました。楽しみです。

■2001/06/10(Sun.)■

 ちゅー画伯『自分でやる!』の路上配布へ。in大阪駅前歩道橋。

 もう4回目ぐらいになるので随分見なれた光景になっちゃいましたが、今回は隣でかなり大掛かりなバンドが元気に演奏しており、もぅ10重くらいのひとだかりができてます。結果としてこっちは「座席」になぜか居座ってフリペ配ってる、てな感じでちょっと居心地悪かったりもしましたけど、Binちゃん編集長、いかがでした?(日記で他人に振るし)

 行き帰りの電車では、ちゅー画伯と色々のことを話しました。ここ数ヶ月のことに始まり、作品を作るということ、生き方のこと、今後の活動のこと。でも結論は『剣をもつもの』の続編を早く描け、ということだそうです。「次回作」ではなくて、あくまでもアレの続編。数少ない僕の読者さんは、そこんとこにこだわる人が多い。プレッシャァ。

 夜に行った加茂川沿いの洋食屋のウエイトレスさんがむちゃ可愛かったです。日曜夕方は要チェキ。何を。


■2001/06/09(Sat.)■

 親父バイト

 親の家に向かう途中、母とすれ違う。今日は父も岡山へ行くと聞いていた。俺1人かい。まぁ業務内容は連絡受けていたので問題なかったんですけど。

 午前中ガンバリすぎて、ヘロヘロになって自炊。何がどう作用したのか、やけのやんぱちになって、ゴハン約2合、野菜炒め特盛、ポテトサラダ約2人前、それにキムチ大量と、かなりムチャ食いしました。学食でも1000円超えてるよコレ。

 しかも午後休憩の時にしっかりドーナツ3つ食らってるし。

 夜は夜で帰ってきた母に呑みに連れていってもらい、食う食う。呑む呑む。久々に自分の胃袋の底なしっぷりを見ました。


■2001/06/08(Fri.)■

 今日は贅沢。映画2本立て。『東京マリー・ゴールド』と『ショコラ』。

 どっちも良かったです。間に時間があったので、マクドでお茶しつつ、”作品をみる”ということに関してちょっと新しく言いたい事がでてきたり。それは小説でも映画でも漫画でもいいのだけれども。まだ文章のカタチをなしていないんですが、近々書いてみる予定です。

 銭湯に行く道で、蛍の乱舞が見られるようになりました。夏ですな。蛍見ると毎年思う。「蛍光色」とはよく言ったものだと。

■2001/06/07(Thu.)■

 TAをしている授業で「今日は、人文学をやる上で、インターネットを情報収集の手段としてどう使うか、というようなことをやろう」という話になリました。そんなわけでコンピュータ室を予約していたんですね。学生にはもちろん1人1台。で、学生が何を見ているか教卓でモニターできたり、逆に教卓で見ている画面を全員に転送したり。なんだか楽しそうな授業になる予定だったんですが。

 他の授業とブッキングして、却下。というか、コンピュータ関係を仕切ってる(と思われる)先生がOKと言うからそういう段取り組んだのに。ブッキングしたもう1つの授業ってのは、正規に毎週その時間その部屋を使っているみたいで。そんなんダメダメやん。把握しとけっちゅーの。

 学生の希望もあり、テレビのある教室でサッカー見てました。vsオーストラリア。学生、試合に一喜一憂、狂喜乱舞。発表の時もそのくらい元気出していこうぜ。

 夜はS.N.氏と、その恋人さんと修学院SPEAK EASY。そして久々に歌いに。なんだか歌いに行くたびごとに知ってる曲の少なさを身にしみて感じる。自分がいかにマイナーファンであるかを。んー、有名どころも何人か知ってるんだけど、女性ボーカルばっかりで俺は歌えないとかね。


■2001/06/06(Wed.)■

 親父バイト

 夕方まで例によって洗浄作業。その後、ある喫茶店に流し台の交換へと赴く。

 バリバリ営業中だったんですけどね。優雅にコーヒーをすすり、中には時間的に夕食をとるお客さん方の目の前での作業。人1人立つのがやっとのような狭い厨房を、ヘドロまみれと化した流し台をたくみに操って搬出。一部のお客さん、カオが凍り付いていたのを見逃しませんでした。いいのか、コレ。明らかに店のイメージ損ねてると思うのだけど。飲食店を回っていると、素敵なお店に出会えることも多い反面「ここでは食いたくない…」というお店にも同じくらい出会ったりして。

 まぁでも、水浸しの床にはいつくばって排水の工事なんかするのにも慣れました。油まみれの機材にも素で触ったり。ちょこざいな。


2001/06/05(Tue.)■

 バイトやら祭やらワールドフェスティバルやらで中断になっていた研究室webの作業を再開。

 今日は結局夜の11:00頃までやっていたんだけど、警備の人が見まわりに来て、半ば追い出されるような感じで帰ってきたのさ。なんかいつまでも学生がたむろしているように見えたらしくて「いつまで残っとんねん!!!!」とか「ええかげんにせーやぁ!!!!」とか、とにかくコワい。というか理不尽。ひーえー、こっちも遊びで残ってるわけじゃないのにぃ。

 今度から窓に暗幕はって、部屋の電気は消して作業をしようか。まるで戦時中。灯火管制。

■2001/06/04(Mon.)■

 今日の日程をこなした後、web作業の続きをやろうと研究室へ向かったが、カギがかかっていて誰もおらず。ボスである先生は、昨日鴨川河川敷でおこなわれた「ワールド・フェスティバル」っていう国際交流的なイベントの役員をしており、出入りしている学生も何らかの形でそのイベントに関わっている人が多い。

 だもんで、今日はみんなそっちの後片付けやら打ち上げやらに行ってんのかな。

 予定が狂ったので、学長研究室へ。N.S.氏の修士論文の中で、一部小説的表現をした箇所がある。その部分を読んでいて、とても映像化してみたくなったので、当人に許可を求めた結果、アッサリOK。「というか、せっかく映画撮るんだったら、なんか一から脚本起こして、ちゃんと作ろうよ」ということになった。ということで、修論のビジュアル化は漫画の方でやることに。

 久々の新作の予感。

■2001/06/03(Sun.)■

 ビブレでCDを買う。吉田知加。いい感じです。京都出身らしいですね。

 夜はそいつを聴きながら、3週間分たまった日記を書いたり、短編作品のプロットをちょっと考えてみたり。そして呑む。もはや呑むのは基本か。

 関係ないけど、先日明楽と茶を飲みながら(僕もたまにはアルコール以外のものも飲む)話していて、「はやいとこ隠居して縁側でこうやってのんびり茶でもすする生活をしてみたい」と言ったところ、「まず、縁側付きの家を買わにゃ」ともっともな指摘を受けました。「そのためにガシガシ働かんとあかんのかい…」とゲンナリしていたら「あ、なんやったらその辺に”縁側”だけこしらえたら?」と一言。

 イヤですそんなドリフのセットみたいな老後は。

■2001/06/02(Sat.)■

 親父バイト

 母が所用で岐阜まで泊まりがけで出かけており、夕食が父1人になるというのに、今日は精華で五月祭ということで、早々に帰る。ああ親不孝者。

 一緒にいた人が、もぉ祭で遊びたいんだか何をしたいんだかよくわかんなくて、ちょろっとブラブラしただけで、面倒になって結局家で呑んでました。ととさまゴメンよ。こんなことなら残ってあげればよかったね。


■2001/06/01(Fri.)■

 ちょっと思うこと。

 少年が犯罪を起こすと、漫画やゲームなど、架空世界との混同が指摘される。最近はそんな意見もちょっと減ってきたのかな。そりゃそうだろう。そんなことはまずない、と言っていいのだから。

 なぜか。

 本当に漫画やゲームに傾倒して、現実と区別できなくなっているのなら、みんな「必殺技」を使って犯罪を起こすはずである。北斗百烈拳、ペガサス流星拳、かめはめ波、ゴールデン中華斬舞、ゴムゴムの銃、千手パンチ、波動拳、竜巻旋風脚、まじんぎり、ひゃくれつなめ、あまいいき、ギガデイン…。メディアにはありとあらゆる「必殺技」があふれている。なのに少年たちはなぜそれらの技をカッチョ良くキメて使わないのか。答えは間単。そんな技を現実には使えるわけがないことを分かっているからだ。

 ひゃくれつなめで怯んだところにゴムゴムの銃を叩き込まれたりなんかしたら、もう何がなんだかよく分からないけど。異種格闘技。

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